スロバキアでのインターンシップ生活:IAESTE

はじめに

こんにちは。B4の坂村です。

B4と語るのは2度目、昨年は休学をしてインターンシップに参加していたからです。

2024年6月から2025年2月にかけての8ヶ月間にわたるスロバキアでのインターンシップ生活、今回はその振り返りをしていこうと思います。

前半はインターンシップに行くまでの流れを、後半は現地での生活について書いていますので、興味のある箇所を読んでいただければと思います。

お城と街並み一望

インターンシップに行くまで

IAESTE・応募について

僕が今回参加したインターンシッププログラムは「IAESTE」という世界各国間で理系分野(STEM分野ともいうみたいですね)の学生にインターンシップの機会を提供する非営利団体の行うプログラム。

毎年4月と9月に募集を行なっており、去る2023年の9月、このプログラムに応募しました。

ひと口にIAESTEのインターンシッププログラムと行っても2種類の応募方法が用意されています。

それが「Global Internship」と「Exchange Internship」。字面だけ見ると違いが分かりにくいですが、違いは以下の通り。

  • Global Internship

    • 既出のインターンシップの募集(国・インター先機関・期間などが公表されている)に対して学生が応募
    • 1つの募集に対して複数の学生が応募する可能性があり、落選の可能性あり
    • 複数回応募可能
  • Exchange Internship

    • 学生が事前に履歴書や希望職種、希望のエリアや期間をIAESTEに提出
    • 提出された情報からIAESTEが要件を満たすインターンシップを学生に提示
    • 学生はこのインターンシップを受けるかどうかを判断する
    • 複数回応募不可
      • 原則IAESTEからの提案は1度きりで、これを拒否した場合その募集期間でのインターンシップの機会を失う

以上に加えて応募時の要件はGlobal Internshipの方が厳し目です。

そして僕は後者のExchange Internshipに応募し、中央ヨーロッパスロバキアでのインターンシップの機会を得ました。 (1度他国でのインターンシップを提案されていました。都合があわず断念しかけましたが、交渉の末スロバキアインターンシップを改めて得られたので、この辺の柔軟性・可能性はあるかもしれません。)

Exchange Internshipに応募した理由は、「自分で決められない偶発性に委ねた方がおもしろい」からです。

自分で選択できるGlobal Internshipを選んだ場合どうしても耳馴染みのある国を選んでしまったり、無難な選択をしてしまう気がして、どうせなら全く選べない方が楽しいじゃん!とノリと勢いでExchange Internshipに応募しました。

結果、スロバキアという「名前は聞いたことあるな...?」程度の認識の国でインターンシップを行うことになりました。いま振り返ると、この時の選択は間違っていなかったと嘘偽りなく言えます。 もしこの時これを選択していなかったら渡航先としてスロバキアなんて発想は出ないからです。

すっかり馴染んでしまったスロバキアの国旗

インターンシップ応募から渡航まで

以下は大雑把なインターンシップに行くまでの流れ。

インターンシップの提案を受けてからの流れが加速度的に早かったのを鮮明に覚えています。見ての通り受け入れが確定してから渡航まで1ヶ月と、僕の場合だけかもしれませんが、おそらく他のどのプログラムよりも慌ただしい展開だと思います。

わずかな準備期間には主に以下のことをしました。

  • 現地IAESTEスタッフとのコンタクト
    • 長期間の滞在のためのビザの取得方法の確認
    • 現地の居住先の確保
  • 航空券の確保
  • 語学学習 - なし 🫠

IAESTEのインターンシップは基本が英語とのことでたかを括ってスロバキア語の勉強はゼロで挑みました。スロバキア語を勉強する余裕があるほど英語も自由でなかったからです... が、8ヶ月の滞在でスロバキア語が話せなくてピンチ!なことは無かったのでこの判断は正解でした。(英語はもっとできるようになってから行きたかった...)

直行便はないためウィーン国際空港を利用

現地での生活

国の印象

スロバキア中央ヨーロッパのさらに中心、西にオーストリア、東にウクライナ、北にチェコ、南にハンガリーを隣国とする国。人口は540万人で東京都(1400万人)の約3分の1(2025/04現在)とこぢんまりとした国です。 首都であるブラチスラバは周辺国の首都と比べても小さめ。1日あれば主要な名所を見られるほどの小さな街で、ヨーロッパらしく古い街並みが今でも残っており、不思議と落ち着く街です。 真四角のお城とUFOと言われる橋、周辺国も貫くドナウ川が印象的。

ドナウ川ブラチスラバ

言語

事前に仕事は英語で行われると聞いてはいたものの、実際に現地に行くまではヒヤヒヤでした。言語学習アプリに「スロバキア語」の文字はなく、わずかに本があるだけで学習を諦めていたからです。

実際に現地に行ってみると大半の人は英語を話し(30-40代以下の人はほとんど英語を話す)、バスやスーパーなどでは現地語のみ、という感じでした。 言語でコミュニケーションを取らないといけないシチュエーションでは英語を使えたので、つたない英語でなんとかやっていけ、定期券の購入やビザの取得などで現地語が必要な場合はIAESTEのメンバー(現地の大学生)の手を借りたりなどして乗り切っていました。

現地で数名の日本人と出会いましたが、数年滞在している人でもスロバキア語を話せず英語だけで生活している方もいたりと、公用語のような立ち位置として英語が使えるのだなぁと島国育ちの人間としては感心してしまいました。

結果8ヶ月の滞在で覚えたスロバキア語はあいさつのみ(Ahoj:やぁ、Dobrý den:こんにちは)と、恥ずべきバリエーションとなっています。

スーパーの文字は何も読めない

仕事

普段からWeb制作周りの技術を触っていたこともあって、現地ではECを主としたWebサイトの開発を行う会社でインターンシップをしていました。 この会社では毎年IAESTEを経由してインターン生を受け入れている会社で受け入れに対して慣れているようで、こちらとしてもやりやすく荷が軽かったです。

ヨーロッパの国々は日本と異なり一国の人口が少なくサービスを国内需要のみで維持することは難しいため、近隣諸国に対してもサービスを展開しています。メンバーやクライアントは周辺国の出身の人々も多く、社内公用語は英語で行われていました。必要に駆られているとはいえ、互いが異なるバックグラウンドを持ち、双方が歩みよってコミュニケーションをとっていくことが自然、という態度は学ぶべき姿勢だなと感じました。

同じプログラムを使ってドイツからもインターンが同僚として働いていたことも大きな影響がありました。留学と違い、同世代の仲間の少ないインターンシップという環境において、同い年の存在は光明です。 第一言語でないにも関わらず当然のように流暢に英語を話す同い年の存在は絶大なもので、彼がインターンシップを始めてからの僕の英語の伸び率も上がりました。日々の雑談やフランクなコミュニケーションが一番の学習になるなと身をもって感じました。

職場の屋上からの景色

生活

はじめてのヨーロッパでの生活は刺激に溢れた日々でした。街並みから食事、交通事情まで、すべての事を一旦立ち止まって考えなければ事を運べない日々は新鮮です。 はじめは旅行者のような感覚で全てが新しく感じますが、旅行とは違って段々とその街の当事者になっていく感覚は特別なものがあります。

8ヶ月間滞在したアパートはシェアルームで、留学等で外国から来る若者が数ヶ月単位で入れ替わり立ち替わりメンバーを交代しながら住んでいました。家賃は一人あたり東京で1Kを借りるのと同じくらいの金額ですが、リビングなどの共用部がかなり広い3LDKをシェアしていたこともあって優雅な気分で生活を送っていました。

自室

食事に関して、スロバキアにはいくつか伝統料理はあります。内陸国のため基本的に魚料理はなく、基本的に肉とじゃがいもで構成されています。全体的に重めの食事が多く、現地の人々もこういった伝統料理はあまり頻繁には食べないといっていました。 スロバキアは料理よりもむしろ、お酒、特にビールについて語らなければいけません。チェコと並んでビールの生産地として有名で、その種類は膨大でどのスーパーに行っても多くの種類の銘柄が並び、500mlでペットボトルの水よりも安いものもあります。(恩恵に預かって文字通り毎日ビールを飲んでいました。)

伝統料理ハルシュキ:小麦粉とチーズ

パブで提供される5Lのビール

物価は周辺国に比べて安いとはいえ外食の値段は日本の1.5-2倍ほどの価格なので基本的には自炊をしていました。見知らぬ食材で料理を創作してみたり、ルームメイトと自国の料理をシェアしあったりと楽しくサバイブしていました。

街並みはさすがヨーロッパ、特に旧市街と言われるエリアには多くの美しい昔からの建物が立ち並び、下を見ると石畳の道路、上を見るとオレンジ色の美しい屋根を見ることができます。 ソ連との関係もあったことから、社会主義的な団地が広がるエリアもあったりと、小さい都市ながら歴史を一挙に感じられる良い街です。進行形で経済成長中なことから、多くの商業施設の計画や再開発が進められており、数年後にはみられないかもしれない景色も多くあるのかもしれません。

旧市街の景色

ソ連時代を想起させるアパート群

若者を中心に政治不信があることから滞在後期には毎週末のように政府に対する抗議活動が行われていました。人口が東京の約3分の1とは思えないほど多くの人が集まっており、つい30-40年前に独立を果たした過去や国境を接するウクライナ情勢が他人事でないという意識など、政治に対する当事者意識の高さをひしひしと感じました。

抗議活動の様子

周辺国への旅など

はじめにスロバキア行きが決まった時は想像していなかったこととして、中央ヨーロッパの小国という特性から多くの隣国に気楽に旅ができるという利点がありました。最も近いオーストリアは、首都であるウィーンまでバスで1時間、チェコプラハまで電車で5時間、ハンガリーブダペストまではバスで3時間と隣の県に行くようなノリで国境を超えることができます。他にも夜行バスを使えばイタリアをはじめとした人気の観光地に行くこともでき、滞在中に多くの国に観光に行くことができました。この話は追って記事を書こうと思っています。

旅で訪れたベネチアスロバキアから夜行バスで10時間

さいごに

スロバキアという日本人にとってはあまり耳馴染みのない国に飛び込んでインターンシップをした経験は間違いなく僕の人生にとって大きな出来事になりました。

ランダムに選ばれた国で半年以上生活するという経験もなかなかにレアなものだと思いますが、何事も躊躇せずに飛び込んでみると面白い結果が待っているものです。

その場でどうにかする力、というものを確かに得られた8ヶ月間でした。